セッション

おそらく世界でも最もレベルの高い音楽学校のジャズバンドが舞台。指揮者のフレッチャーは、バンドメンバーたちを、それはもう罵って、追い詰めるだけ追い詰めて、向上させようとする。そこに、主人公の男の子のニーマンがドラマーとして加わる。正気とは思えない指導で、徹底的に追い詰められながらも、すべての時間をドラムに捧げて、向上していく。もちろん、そのままよかったね、という話ではない。途中に生じた出来事は、かなりつらいし、観る人を選ぶ作品だな、とは思う。

徹底的に追い詰めて、その先に信じられない飛躍がある、というのは、古くから存在する教育法なんだと思う。日本でも、往々にしてそうした指導は行われてきただろう。そして、今はその指導は批判されている。

自分は現役の教育者だから、あんまりこういう話を観て感銘を受けたりしてもいけないんだろうけど、追い詰めた先に何か向上がある、というのは分かる。適度なストレスが向上を生むことは明らかだ。研究の世界でも、レベルの高い研究室に配属されて、そこで追い詰められながら食らいついていこうと思えば、自分だけでは不可能なレベルの努力が可能になるだろうし、プレッシャーをはねのけるだけの精神力も身につくかもしれない。

フレッチャーの台詞で印象的だったのは、英語で最も悪質な言葉がgood jobだ、ということだ。この言葉が、さらなる成長の機会を奪う、という考えだろう。

自分は、そんなに追い詰められたこともなければ、挫折して這い上がってやろうという熱意も、より厳しい環境で強いストレスにさらされながら向上しようという気概もないように思う。楽しく学んで、残りの人生を楽しく生きていければいい、と思っている。少なくとも、特に職を得てからは、そうした考えが強くなっていった。それゆえか、こうした世界にちょっぴりだけ憧れもあったりする。

今からまた困難な世界に身を投じるような根性はちょっとないけれど、過度なストレスを与えるようなことはやめよう、といったことを教訓にしたくはない。人生は限られているし、いつ死ぬかも分からないから、その中で少しでも向上できる道を進みたい。フレッチャーとしての視点ではなく、ニーマンの視点で考えたいと思うのは、やっぱり自分は教育者向きではないからなんだろうな。

ジェラシック・ワールド

こちらもレイトショーで観た。4DXで観たけど、座席の揺れ方と水の出方が思った以上で、なかなか楽しかった。ただ、VRが出た今、3Dにさえ物足りなさを感じたのも事実。今後、VRで観るということもあるのかな。そんなアトラクションとかあればな。あるのかな。

遺伝子操作かなんかをして、現代に再生した恐竜たちが住む火山島で、火山が噴火するけど、恐竜を見捨てられないので、なんか助けてあげましょ鵜、みたいな話。もう、ストーリーも人物像も全く掘り下げられていなくて、ほんとにこれは、映像を楽しむための作品なんだな、と思った。ここまでストーリーとかが添え物扱いだと、逆に映像に集中できてよい。映像は、ほんとによくできてるなって思った。

あえてストーリーの特徴を挙げるとすると、勧善懲悪もので、やっぱりアメリカ人も勧善懲悪が好きなのかなって思った。であれば、水戸黄門とかアメリカでやれば受けるんじゃなかろうか。もう、これから先は、水戸黄門がわからない人たちも出てくるし、ここはハリウッド版水戸黄門で、華々しく復活を遂げてほしい。超最新技術のCGで、3Dで浮き出る印籠、出た瞬間に座席は激しく揺れて、雨も風もすごいことになって、観客大興奮、みたいな。水戸黄門・ザ・ゾンビとか、水戸黄門vs.バットマンとか、水戸黄門vs.ヒトラーとか、水戸黄門の名はとか、水戸黄門の墓とか。ディズニーとか、水戸黄門で新作作んないかな。

インクレディブル・ファミリー

『ミスター・インクレディブル』を観てから、観に行った。まさか、前作の直後からとは思わなかった。前作とどっちが好きかはわからないけど、今作もけっこー面白かった。赤ちゃんの能力すごかったし。

家事が全部できれば、それはスーパーヒーローと同じくらいすごいこと、みたいな台詞は、今回の作品のテーマだと思う。前作もそうだったけど、やっぱりスーパーヒーローもののアクションの面白さはそのままに、現代という時代を反映させて描こうとしていて、その点でも観ていて飽きさせないと思った。男女平等と言うのはいいけど、いかにその実現が難しいのか。

以前、セカンド・シフトという考えを学んだことを思い出した。共働きなのに、結局、家に帰ると女性側が家事をこなしている、ということ。そして、女性は、職場では、家庭を優先するために二流の働き手と評価されてしまう。女性が輝く社会というのが、どのように実現可能なのか、という点で観ても、この作品は面白いのではないかと思う。

全く別の話で気になったのは、レイトショーで観たんだけど、小さい子連れが結構多かった。社会状況とか考えれば、子どもと楽しめる時間がここしかないということだと思うけど、子どもの睡眠時間は確実に少なくなる。小さい頃の睡眠不足が、後になって影響するとかいう話も聞くので、ちょっと複雑な気持ちになった。理解不足だろうか。

ガルシア=マルケス『族長の秋』

主人公の名前は語られず、ただ「大統領」とだけ呼ばれている。『族長の秋』は、その大統領の独裁の様子が、延々と描かれた小説である。ガルシア=マルケスと相性がいいのか、翻訳者の鼓直と相性がいいのか分からないが、とにかく楽しい読書体験だった。

まず、やはり描写にひかれることが多かった。残酷な出来事の描写が、時に部下の報告の形で、時には大統領の一人称の形で、時には「作家」の視点で、淡々と描かれており、特に苦痛に感じずに読めた。その点にこそ、独裁の残虐さがいかに「自然」なものかが描かれているのかもしれない。

裏切り者を見つけ出そうと、鰐に食わせたり、皮膚を剥いだり、自分の同性愛を恥じた将軍が尻の穴にダイナマイトを突っ込んで爆発させたり、自分の影武者を利用して大統領は死んだとデマを流し、その振る舞いの内に裏切りや反抗の兆しを見せた群衆を皆殺しにしたり、自分の妻を殺した犯人を捕まえさせようと雇った男が、関係ない人間の生首を定期的に送りつけ、切り刻んで犬の餌にする拷問にかけていたり、と、残虐描写は多いが、映像は絶対見れないけれど、小説の描写としては楽しんで読めた。想像力が欠如しているのかもしれない。

自分の母親が亡くなっても、「おふくろよ、……」と問いかけ続けたり、自分のためだけのテレビ番組や仕込まれた女学生がいたり、何が真実かも分からなくなって、ただ存在自体が権力となり、たくさんの人が簡単に犠牲になる様子は、滑稽で哀しい。大統領には同情したくもなるし、軽蔑したくもなる。愛すべき愚か者に思えるが、この残虐な独裁者の描写のどこにも、この人物が特別に残酷で、凶悪な精神性を持っているものは見当たらない。あたかも、「大統領」という地位が、自然とこの人物をこのように残虐で愚かにしているように見える。それゆえ、この「大統領」には、名前は不要で、このただどこまでも「大統領」であるべきなのかもしれない。

この小説で描かれる世界は、私にはリアリティがなく、この作品全体が趣味の悪いファンタジーに見えるけれど、この作者の背景を探れば、もう少し現実的な影響も見えてくるかもしれない。そうなると、おそらく私の読書体験は、もっとネガティブで退屈なものになったのかもしれない。

ガルシア=マルケスには、『百年の孤独』と『族長の秋』の2作に、完全にやられてしまった。さらに読みたい気持ちもあるが、限られた時間で、もっと別の作家の作品も読んでみたいので、しばらくおあずけかな。

 

 

『マルクス・エンゲルス』

映画の『マルクス・エンゲルス』を見た。マルクスの著作は、きちんと読んだことは一度もないし、マルクス主義を標榜した身近な人がうさんくさかったので、なんとなく嫌な目で見ていたけど、少しは知っておこうと思った。

感想は、とてもおもしろかった。マルクス主義の思想の紹介というよりは、その当時、自分たちの理想を目指して生きる若者たちの映画、という感じだった。どこまで史実かは分からないけれど、マルクスは貴族の奥さんと子どもを抱えて、非常に貧しい暮らしをして、エンゲルスは紡績工場かなんかの経営者の息子で、裕福な暮らしをしていた。

マルクスの、どうしようもなく頑固で、自分の理想に生きようとするけれど、それでも自分の家族の生活のために、それ以外の仕事を優先してしまうという人間味あふれるエピソードの場面は、とても興味深かった。その苦しさゆえにこそ、観念遊びではなく、現実の問題を見据える思想を求めていった、と思えてしまう。

また、エンゲルスが、マルクスの思想は面白いけれど、経済学の教養が足りないみたいなコメントをしているのは、2人の関係性の実際を知らないので、なんだかとても面白かった。どうしても、マルクスありきのエンゲルスだけれど、エンゲルスあってのマルクスなんだな、とも思った。

労働者が、その日生きていくことも困難な時代、思想が生きる上で不可欠で、一般の民衆にまで必要とされた時代の雰囲気はまったく分からない。生きた言葉で、本当にその時代を生きるために思想を求める、というのは、どういう感じなんだろう。学生運動は、そのような時代の雰囲気を残していたのだろうか。

絶対にその時代に生まれたかったなんて思わないけれど、なんとなく憧れを抱くような時代描写だった。マルクスの本、読んでみようかと思ったけど、結局映画観た帰りに手に取ることがなかったので、やっぱり縁はないのかな。

NHK『福島第一原発事故 7つの謎』

NHKスペシャルのシリーズだった『メルトダウン』の取材班による、福島第一原発事故の検証結果であり、NHKの取材力を駆使した優れた取材報告となっていると思う。

原発事故は、情報が錯綜していて、時間が経ってさまざまな検証を経ないと、適切な評価が難しいと思っていた。それゆえに、これまであまりこの事故を扱った本は読まなかったけれど、ある程度の時間が経って、綿密に取材と検証を続けたこの本は、この事故を知るにはおすすめできると思う。関連本を読んでないので、比較はできないけれど。

安全のための設計が、電源の完全喪失という想定外の事態でネックになってしまったこと、イソコンという緊急時の冷却装置の稼働の判断の仕方を現場の人が誰も知らなかったことなど、たとえば技術者倫理という観点からすれば、学ぶべきこと、教訓とすべきことが多い事故だが、私が文系で詳細を判断できないというのもあるが、私がもっとも印象に残ったのは、意思決定機関と現場の乖離である。

とりわけ、最終章のインタビュー記事は、印象に残った。本店の幹部や中央省庁の人間が、現場の苦労を理解しようともせずに、現場に無理難題を押しつけたり、現場の作業を混乱させるような頻度で連絡したりしていたことは、どの組織でも起こりそうな問題である。そんななか、原子力分野のトップの人物が、現場の作業者を信頼し、あえて連絡をせずに、現場の作業を尊重しようとしていたということは、とても重要なことだと思う。現場をよく知るということが、いかに重要であるかということの優れた例だと思う。

また、現場の状況が伝わらないために、疑心暗鬼が膨れ上がり、中央省庁が、東電の現場の人間が逃避しようとしていると判断し、自ら指示役を行おうとしたというのは、笑い話にもならない、とてつもなくひどい状況だったと考えてしまう。現場スタッフが、放射能の恐怖の中で、決死の覚悟で作業していたという報告を見るにつけ、いかに勝手な思い込みで、無駄な指示を与え、現場の状況を悪化させたかというのは、徹底的に検証されるべきだと思う。

もちろん、教訓として、現場の状況を逐一開示することの重要性も忘れてはいけない。当時の総理大臣が、わざわざ現場を訪れて、ベントしない理由を問うた際に、所長が現状を説明すると、解決は全くしていないのに、納得して帰って行ったという話がある。結局、未知のことは不安をあおる。特に素人に対してはそうである。たとえ素人には分からないだろうと思うことでも、情報を開示して、状況や判断の理由を示すことが、無駄な動きや混乱をなくすためには非常に必要なことだと思う。これは、特に自分が優秀だと思っている人間が、他の「一般人」に情報を開示すると混乱させてしまうという、不思議なエリート意識で情報を秘匿する傾向があることと密接に関連していると思う。実際は、逆のことがほとんどだろう。

この事故は、もちろん技術的にも相当に反省/改善につなげるべき事項が多いと思うが、やはり人間の問題が大きいと感じた。適切なコミュニケーションや判断、業務の分担など、人の判断傾向に関する知見をもとに、緊急時の対応の仕方を検討すべきだと思う。

ガルシア=マルケス『百年の孤独』

「マコンド」という町ができてから、滅びるまでの歴史が描かれた小説。最初は原始的な町だったが、それから政治の波が押し寄せ、反乱は紛争、虐殺、資本主義的な経済が町に訪れる。その中で、町の創始者であるブエンディーアの一族がたどっていくとても奇妙な歴史が、時に幻想的に、時にリアリスティックに描かれている。

久しぶりに、読書にはまってしまった。私は、やるせない話や、無常観を感じるような作品がとても好きなのだと、改めて思った。長大な歴史の中で、あらゆる努力が徒労に終わるのは残酷に見えるけれど、結局あらゆることは意味などなく生じては消えていくのであって、すべて不条理であるとも言える。

読むのに時間がかかったけれど、少なくとも一度は読み返したいと思った。終焉を知ったうえで読むと、新たな発見もあるだろう。あと、慣れないし似ている名前ばっかりで、時に混乱したので、理解せずに読み進めてしまったところもあるに違いない。