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メモ帳

某社会科教員です

フィクションを信じること

映画や小説にはまると、そこに描かれているフィクションの世界を信じたくなる。フィクションの世界の方が平和で幸福そうなものだと、そうした傾向は強くなる。けれど、完全にフィクションの世界に生きることはできない。現実の要請から逃れることはできないからだ。

フィクションの中に生きようとする姿勢は「現実逃避」と非難されたりする。では、現実の中にフィクションが紛れ込んでいて、もしも私たちはそのフィクションを集団で信じ込んでいたとしたら、どうだろうか。そのフィクションをすべて放棄しなければならないだろうか。

時代的な背景はあまりよく知らないが、「社会的構成 social construction」という概念が、一時期非常にもてはやされていたようだ。乱暴に言えば、私たちがその存在を信じ込んでいるものの中には、偶然の産物に過ぎないものがある、すなわち、私たちはフィクションの実在を信じ込んでいる、という考えだ。今、イアン・ハッキングの『何が社会的に構成されるのか』を読んでいて、ようやく第1章を読み終わったが、いくつか興味深い記述があったので、備忘録代わりにメモしておきたい。

まず、ハッキングは、社会的構成というアイディアが、人々を呪縛から解き放つ効果を持っていたとしている。代表例は間違いなくジェンダーであろう。女性らしく振る舞わなければならないと疑いなく信じられていたものについて、それは社会的な要請に他ならず、あくまで偶然的に生み出された要請であることを暴露することで、もはやそれを遵守する必要性はない、と思わせる。

「Xが社会的構成物である」という主張の背景には、以下のような見解が存在する。

(1)Xのこれまでの存在、あるいは現在のあり方には必然性がなく、それゆえこの存在を認めること、あるいは現在のあり方を回避することができる。

この見解が社会的構成論者の共通見解だと言える。ただし、この見解からは、単に、Xが不可避であることを否定しているだけであり、それ以上のことはない。実際には、社会的構成論者は、以下の(2)、(3)まで進む人が多い。

(2)Xの今日のあり方はひどい状況だ。

(3)Xが完全になくなるか、あり方を根本的に改められれば、私たちの生活ははるかによいものになる。

ここでいう「私たち」が誰かによって、話は大きく変わるだろうし、場合によってはこの「私たち」自体が「社会的に構成された」観念として新たに告発されるのかもしれない。こうした点も個人的には気になるところだが、本書を読んでいておもしろかったのは、こうした社会的に構成されたとされる観念を生み出す背景に注目していることだ。ハッキングは、この背景を「マトリックス」と呼んでいる。たとえば、「女性難民」とう事例を取り上げて、彼はマトリックスを以下のように説明している。

「女性難民という観念がその中で形作られたマトリックスとは、さまざまな社会機関、論客、新聞記事、弁護士、裁判所の判断、入国審査の手続きといったものからなる一種の複合物である。さらに、このマトリックスには、侵入を阻む障壁、パスポート、入国審査官らの制服、空港の入国審査カウンター、不法入国者仮収容所、裁判所の建物、難民の子どもたちのための野外活動施設といった、入国管理システムを支える、いわば物質期的な下部構造も含まれる。これらの物質的な下部構造もまた社会的である」(p. 24)

このマトリックスの中で、「女性難民」という観念が生み出され、そしてその「女性難民」というカテゴリーに属する個々人という対象が生み出される。観念としての「女性難民」は、対象としての個々人の自己認識、経験、行動を変える。自分が女性難民だと信じることで、女性難民として世界の出来事や自分の置かれた状況を理解し、女性難民としていかに行動すべきかを考える。ここで対象とされる個々人は、「女性難民」を作り上げるマトリックスの中で、さまざまな諸制度、手続き、施設に関与し、その関与の仕方は時に、マトリックスの構造を変容させる。たとえば彼女らが立ち上がり、声を上げ、それが取りざたされることで、彼女らの扱いは変わり、諸制度は改定されるかもしれない。そのときには、「女性難民」という分類法は変容されるだろう。このようにして、観念と対象がマトリックスの中で相互作用している。

以上の点については、納得できることも多いし、このような指摘が重要なものであるだろう。ただ、やはり気になるのは、社会的構成がどこまで当てはまるのか、という点だ。実は、本書の第3章では、自然科学について検討される。果たして、自然科学における発見は、あるいはもっと端的に「電子」や「クォーク」、あるいは「種」などは、社会的に構成されたものなのか。最近は、精神病について取りざたされることが多く、発達障害が問題になっているが、ではこれは社会的に構成されているものなのか。あるいは道徳は?

「社会的構成」ということが何をしているのかについて、反省的に検討することで、その営みを理解しつつ、この威力と限界を見定めながら実際に適用してみることが大切だとは思う。

ということで、続きも少しずつ読み進めていければいいが、第1章を読み終わるのに1ヶ月かかったので、第5章まで読み終わるには、かなり時間がかかりそうだ。