ガルシア=マルケス『族長の秋』

主人公の名前は語られず、ただ「大統領」とだけ呼ばれている。『族長の秋』は、その大統領の独裁の様子が、延々と描かれた小説である。ガルシア=マルケスと相性がいいのか、翻訳者の鼓直と相性がいいのか分からないが、とにかく楽しい読書体験だった。

まず、やはり描写にひかれることが多かった。残酷な出来事の描写が、時に部下の報告の形で、時には大統領の一人称の形で、時には「作家」の視点で、淡々と描かれており、特に苦痛に感じずに読めた。その点にこそ、独裁の残虐さがいかに「自然」なものかが描かれているのかもしれない。

裏切り者を見つけ出そうと、鰐に食わせたり、皮膚を剥いだり、自分の同性愛を恥じた将軍が尻の穴にダイナマイトを突っ込んで爆発させたり、自分の影武者を利用して大統領は死んだとデマを流し、その振る舞いの内に裏切りや反抗の兆しを見せた群衆を皆殺しにしたり、自分の妻を殺した犯人を捕まえさせようと雇った男が、関係ない人間の生首を定期的に送りつけ、切り刻んで犬の餌にする拷問にかけていたり、と、残虐描写は多いが、映像は絶対見れないけれど、小説の描写としては楽しんで読めた。想像力が欠如しているのかもしれない。

自分の母親が亡くなっても、「おふくろよ、……」と問いかけ続けたり、自分のためだけのテレビ番組や仕込まれた女学生がいたり、何が真実かも分からなくなって、ただ存在自体が権力となり、たくさんの人が簡単に犠牲になる様子は、滑稽で哀しい。大統領には同情したくもなるし、軽蔑したくもなる。愛すべき愚か者に思えるが、この残虐な独裁者の描写のどこにも、この人物が特別に残酷で、凶悪な精神性を持っているものは見当たらない。あたかも、「大統領」という地位が、自然とこの人物をこのように残虐で愚かにしているように見える。それゆえ、この「大統領」には、名前は不要で、このただどこまでも「大統領」であるべきなのかもしれない。

この小説で描かれる世界は、私にはリアリティがなく、この作品全体が趣味の悪いファンタジーに見えるけれど、この作者の背景を探れば、もう少し現実的な影響も見えてくるかもしれない。そうなると、おそらく私の読書体験は、もっとネガティブで退屈なものになったのかもしれない。

ガルシア=マルケスには、『百年の孤独』と『族長の秋』の2作に、完全にやられてしまった。さらに読みたい気持ちもあるが、限られた時間で、もっと別の作家の作品も読んでみたいので、しばらくおあずけかな。