セッション

おそらく世界でも最もレベルの高い音楽学校のジャズバンドが舞台。指揮者のフレッチャーは、バンドメンバーたちを、それはもう罵って、追い詰めるだけ追い詰めて、向上させようとする。そこに、主人公の男の子のニーマンがドラマーとして加わる。正気とは思えない指導で、徹底的に追い詰められながらも、すべての時間をドラムに捧げて、向上していく。もちろん、そのままよかったね、という話ではない。途中に生じた出来事は、かなりつらいし、観る人を選ぶ作品だな、とは思う。

徹底的に追い詰めて、その先に信じられない飛躍がある、というのは、古くから存在する教育法なんだと思う。日本でも、往々にしてそうした指導は行われてきただろう。そして、今はその指導は批判されている。

自分は現役の教育者だから、あんまりこういう話を観て感銘を受けたりしてもいけないんだろうけど、追い詰めた先に何か向上がある、というのは分かる。適度なストレスが向上を生むことは明らかだ。研究の世界でも、レベルの高い研究室に配属されて、そこで追い詰められながら食らいついていこうと思えば、自分だけでは不可能なレベルの努力が可能になるだろうし、プレッシャーをはねのけるだけの精神力も身につくかもしれない。

フレッチャーの台詞で印象的だったのは、英語で最も悪質な言葉がgood jobだ、ということだ。この言葉が、さらなる成長の機会を奪う、という考えだろう。

自分は、そんなに追い詰められたこともなければ、挫折して這い上がってやろうという熱意も、より厳しい環境で強いストレスにさらされながら向上しようという気概もないように思う。楽しく学んで、残りの人生を楽しく生きていければいい、と思っている。少なくとも、特に職を得てからは、そうした考えが強くなっていった。それゆえか、こうした世界にちょっぴりだけ憧れもあったりする。

今からまた困難な世界に身を投じるような根性はちょっとないけれど、過度なストレスを与えるようなことはやめよう、といったことを教訓にしたくはない。人生は限られているし、いつ死ぬかも分からないから、その中で少しでも向上できる道を進みたい。フレッチャーとしての視点ではなく、ニーマンの視点で考えたいと思うのは、やっぱり自分は教育者向きではないからなんだろうな。